創業から90年、私たちは技術革新のために、
社員が一体となり挑戦と革新を繰り返してきました。

「お客様の信頼に応える」という変わらない信念と
「常に挑戦し、進化する」変わり続ける技術力、
変わらないこと、変わり続けていくこと、
我々は「技術で未来を」支え続けます。

「90」のモチーフにobccのロゴのライン、
インフィニティを表現し、過去と未来をつなぎ、
100年、そしてその先へ
永続的に発展し続ける想いを込めています。

90年のご愛顧に
感謝を込めて

私ども大阪防水建設社は、本年4月に創業から 90年の感謝の時を迎えさせて頂きました。

これもひとえに永年に亘りご愛顧賜って参りましたお客様はもとより、弊社がご縁を頂きご関係頂きました全ての皆様からの御心と御力添いの賜と心より厚く御礼申し上げます。

弊社は昭和8年、創業者宇賀龍雄が現在の本社地にご縁を得、一人の技術職人と数名の仲間を連れ来阪、自身の人生を賭けた防水材料の製造と工事を手掛けたことに始まります。土地勘も信用も実績も無いない尽くしのスタートは困難を極めたことが伝えられておりますが、やがて必死の思いが御下命へと繋がり、大阪淀屋橋の地下ピット工事を頂いたのが最初でした。御下命時の喜びと、命を懸けてご満足頂ける仕事をやり切ろうという当時の思いは今でも語り継がれています。真心の工事は次の仕事を生み、その後他都市の同種工事の御下命と、それに伴っての拠点の広がりへと弊社の発展を導くきっかけとなりました。

その後世代は変わりましても常に感謝の気持ちを忘れず、お客様には絶対にご迷惑をお掛けしない気概をもって弊社の経営を続けてまいりました。90周年を迎え、改めまして弊社の創業の精神「感謝」「信頼」「誠実」「感動」と「挑戦」の五つを胸に、皆様方から頂戴致しましたご恩を少しでもお返しすべく全社一丸で精進してまいりますとともに、次のスタートとなる100周年に向け常に初心を忘れず、感謝の心で業務に努めてまいります。

何卒今後とも益々の御指導ご鞭達、ご愛顧の程をお願い申し上げます。

HISTORY

大阪防水建設社の歴史

1933
2023

明治二七年 宇賀家七人兄弟の末子として、高知県高知市に生まれる。
龍雄の学生時代は、家計の苦しさにも負けることなく学業成績は優秀で、又幼少において療養中の父親を長年に渡り看護していた事により、高知県より「孝子」として表彰されたこともある。

ただその反面、土佐っ子特有の気質で勇猛果敢な性格も併せ持ち、当時の高知市内では喧嘩屋で名を馳せ、度々家族に心配を掛けている。 その荒削りな気性は、早稲田大学在学中や卒業後に入社した「増田貿易株式会社」においても変わることがなかったようで、上海支店勤務時には退去命令寸前の事態も経験している。

しかし、大正八年妻春子との結婚(龍雄二五歳)を機に、元来持ち合わせていた活力と懐の深さを大いに発揮し、仕事に正対する姿勢を強めていく。
貿易会社解散の後に勤めた酒造会社においては、台湾鳳山支店長、本社米穀部部長を経て、入社五年で社長に選任され、人並み外れた商才を発揮する。

同社退職後は、地方新聞社を買収し九州地方の新聞七社を糾合、西日本新聞連盟の理事を務める。 昭和七年龍雄は九州大分から東京に引き上げ、同年増田貿易上海支店当時の友人が経営する「東京建材工芸社」の顧問となり、その後の龍雄の人生を決定づける「セメント防水剤 ルリオン」(後 ウカ液)と出会う。昭和八年経済的に苦しい状態であったが、自らが信じた「セメント防水剤 ルリオン」を持って、大阪市天王寺区に「 大阪防水建材社」(後 大阪防水建設社)を創設する。

防水工事業が軌道に乗ってきた頃、世の中は戦争の機運が高まり、ついに太平洋戦争に突入。昭和二十年三月十四日の大阪大空襲により大阪市天王寺区の住宅、店舗を 全て焼失してしまう。

戦後のスタートは困難を極めたが、学生時代より培った持ち前の負けん気と、戦前よりお世話になった数々のお客様や友人のお蔭により、戦後間もない昭和二四年「大阪防水建設社」を同地に再興、昭和二五年には株式会社として現在に至る歩みを始める。